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再び干支をさかのぼる

第9回 前照灯

2024年01月04日

前照灯

所長
早﨑 保浩

 昨年に続き、今年の干支(えと)の辰(たつ)年をさかのぼろうと思う。海外に関係した個人的な思い出話になることを、ご容赦願いたい。

 36年前(1988年)、生まれて初めて日本を離れ、2年間の留学のため英国に向かった。英語を聞く・話すことが苦手な私を救ってくれたのは、幼稚園に通っていたホームステイ先の男の子との遊びと、大学で寮生活を共にした各国からの留学生仲間との日常会話だった。

 留学の間、世界は激変した。ベルリンの壁が壊れ、ソビエト連邦が解体に向かい、天安門事件が起き、時代は昭和から平成に変わった。中国帰国を断念する苦渋の決断を行った友達も少なくなかった。ネルソン・マンデラ氏釈放の瞬間を南アフリカからの留学生とテレビで見た際の、彼の喜びと涙も忘れられない。

 「ソ連の崩壊は民主化のためには喜ばしいが、世界が不安定化に向かう恐れはないか」と、国際関係論を学ぶ同級生と議論した。この懸念は現実のものになった。

 初めて「日本人は自分一人だけ」の時空間も体験した。とても心細いマイノリティー感覚。ただ、この経験が「多様性」の大事さを筆者に教えてくれた。

 24年前(2000年)、日本銀行国際局で働いていた。その3年前、アジアを通貨危機が襲った。次の危機を回避するため、わが国財務省の発案で、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓13カ国の間で緊急時に通貨を融通し合う枠組み作りが始まり、財務省幹部と域内各国を飛び回った。

 初めて国際交渉の醍醐味(だいごみ)を味わったが、日中韓当局者間の結束も忘れられない。普段から一緒に集うASEAN諸国と対峙(たいじ)し、3カ国はアウェー感を持った。だからこそ真摯(しんし)に議論し協力し合った。現在、3カ国関係が順風満帆とは言えないことを、とても残念に思う。

 また、その過程において日中間で日本円と人民元を危機時に融通し合う取り決めが検討された。日本銀行内部では「市場で交換できない人民元は無価値」との原則論も根強かったが、「将来を見据え、関係を強化しておくことが大事」との筆者の上司による説得で、最後は役員の了解にこぎつけた。

 12年前(2012年)、金融庁で国際担当参事官を務めていた。その4年前のリーマン危機以降、国際金融規制強化が進んでいた。その中で、日本の大手銀行に極めて不利な提案が通りかけていた。同期の氷見野良三君(現日本銀行副総裁)はじめ4人のチームを組み、徹底的に議論しアイデアを出し、各種データを用い検証を行った。この作業に基づく日本提案により大逆転に成功。国益を守るとともに、金融システムの安定性を測る視座を国際的に確立することができた。

 また、保険業界の国際規制作りでは筆者が議長を務めた。議長職は大変だ。しかし、情報がすべて集まり、議論をリードすることもできる。国際的な議論を進める上で、主要なポストを得ることの重要性を実感した。

 今年、公私ともに海外に行く予定はない。このことはとてもさびしい。ただ、技術の進歩により、今では日本にいても海外とつながり、海外を身近に感じることが容易にできる。「つながる」気持ちだけは忘れないようにしたい。

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早﨑 保浩

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※この記事は、2024年1月4日発行のHeadLineに掲載されました。

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